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馬の体

【馬の胃潰瘍】

競走馬の〝職業病〟ともいわれる胃潰瘍。いわゆるストレスのみが原因ではなく、馬の胃の構造と食生活のスタイルに拠るところが大きいのが実情です。馬が胃潰瘍になるメカニズムと、その影響や症例、対策方法を山嵜獣医に伺いました。

山嵜将彦
野生馬と競走馬では食生活における胃の動きが全く違う

胃の粘膜が炎症を起こし、粘膜の一部が欠損している状態を、胃潰瘍と言う。この胃潰瘍、競馬の世界においては、『競走馬の職業病』とも言われるほど、多くの馬が発症しているとされている。
「アメリカで行った大規模な剖検では、競走馬の87%が胃潰瘍で、大腸潰瘍なども含めると97%が何らかの潰瘍を発症、つまり潰瘍のない馬はわずか3%と言う報告があります。ですので、職業病といえば職業病ですよね」
胃潰瘍という言葉から、常に管理された環境、ストイックなトレーニングによるストレスが主な原因と思われそうだが、実は馬の胃潰瘍の場合は、食生活と胃の構造も大きな要因である。
「まず、馬は人間と違って1日中胃酸が出ています。そして、馬は本来、起きてる間はずっと、草など何かしらを食べているんですよ。アルカリ性である唾液を食べ物と一緒に摂ることで、胃の酸性度が中和されるので、野生馬に胃潰瘍はほとんどありません。

でも、競走馬の場合は多くても1日3回飼い葉ですし、飼料もアスリート向けのパフォーマンス向上を狙った高炭水化物のもので咀嚼も少なくなり、唾液の摂取が減ります。そうなることで胃の中は常に酸性に傾きやすくなります。胃は、胃酸を出す有腺部やその周辺は酸に強いのですが、無腺部は酸に弱い構造です(図①参照)。また、競走馬に与えられている高炭水化物食は胃内において発酵され揮発性脂肪酸が多く生成されてしまい、無腺部の保護作用を弱めてしまいます。その状態でギャロップなどをすることによって、胃の中が攪拌され、この無腺部に酸がかかってしまうことで炎症を引き起こします。これにストレスも要因として加わり、胃潰瘍になってしまうのです」
つまり、職業病というよりは、競走馬に課せられた〝業〟と言った方が近いかもしれない。
「年齢差や雌雄差はありませんが、2009 年7月から2010 年の4月までJRA 日高にて調教を行なった馬(2歳) において27.1%(85頭中23頭)の馬が胃潰瘍を発症。現役競走馬(3歳以上)について行われた同様の調査では、76.9%の馬が胃潰瘍を発症。というデータがあるようです。胃潰瘍のグレード(0~3で数字が大きいほど程度が悪い)も調べられており、2歳馬はスコア2が13%(23頭中3頭)、スコア1が87%(23頭中20頭)、現役競走馬では、スコア3が44%、スコア2が32%、スコア1が24%であったと報告されています。このことから、調教強度によって発生率やグレードは正の相関を示すことがわかります。最近は2歳馬の使い出しも早くなっていることを考えますと、この数字も変わってきていると思います」

人間でも胃が痛めば様々な悪影響が出てくる。それは馬にも当てはまりそうだが、具体的にはどのような影響があるのだろうか。
「胃潰瘍になると、1完歩が狭くなるというデータが出ています。また、『失血、過敏症、栄養素の吸収不良につながり、最高のコンディションが期待される競走馬のパフォーマンスに悪影響を及ぼす可能性がある』とアメリカの論文でも指摘されています。また、慢性的に疝痛を起こす馬もいます。
馬主さん視点で見ますと、愛馬に発症した胃潰瘍がプアパフォーマンスに繋がり、良い成績が出ない要因の一つとなることも考えられます。結果的に早期引退にも繋がる可能性もあります」
では、職業病ではあるが、対策や根本的な治療法はあるのだろうか。

「飼い葉を食べなくなるような症状が出てから、『胃潰瘍がある』という前提でオメプラゾールという治療薬を投与することが多いです。この治療薬は空腹時の投与が効果的ですので、朝の調教前などに飲ませることが良いかと思います。とはいえ、予防的に飲ませるにしても、決して安いものではありません。効能説明書では28日投与が推奨されていますので、馬主さんの負担も増えてしまいます。個人的には、薬ですので、ずっとやり続けるのもどうかとも思います。できれば、内視鏡検査を定期的に行い、薬の量をコントロールして予防、治療することが最良の方法です。
実際に内視鏡を用いた研究では、胃潰瘍が認められた馬に28日間治療薬を投与しながら通常の調教を行った場合、育成中の2歳馬では18頭中18頭が完治、現役競走馬では75頭中58頭が完治、残る17頭もスコアが改善したことが報告されています。また、大井競馬場で行われた実験では、高濃度の水素水に予防効果があることも確認されています。
最近の研究では、胃だけではなく十二指腸や盲腸、大腸の潰瘍ができているケースも報告されています。それぞれ治療薬も異なりますので、内視鏡検査などを活用して適切な治療を選択することも大切です」
ただ、できれば調教やレースは休ませたくないし、馬主への負担も減らしたいというのが、調教師も思うところだろう。
「中央競馬の場合は、未勝利戦の間にひとつ勝たないといけませんので、治療のための休養も簡単に取れないというジレンマも理解できます。治療薬は1回4~5000 円するものですので、28日間となるとそれだけで軽く10万円を超えてしまいます。それが預託料に反映されるのを気にされてしまう調教師さんも多いのが実情です。
ですが、治療することによって、着順がひとつでも上がるのであれば、獲得賞金も変わってきます。愛馬も長く健康に走れることに繋がりますので、馬主さんからアプローチしていただけると、調教師さんも動きやすいかと思います。
今は効果も確認されているジェネリック医薬品もありますので、最新のデータと併せてこれも活用しています。獣医療を通じて馬の福祉と、皆様の馬主ライフを応援することが出来ましたら幸いです」

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